Rock'n Rose High School☆696hs

アロマテラピー&子育て&心理学

「三尺の童子を拝す」の意味って? 子育てや介護に通じる

696hsへようこそ。

 

こんにちは。

5人子育て中

アロマテラピーインストラクター

放送大学で心理学勉強中

ミナコです。

 

 

「三尺の童子を拝す」 とは?

 
「三尺の童子を拝す」という言葉があります。
  

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写真ACより引用
「三尺の童子を拝す」 =サンジャクノドウジヲハイス
 
三尺とは、100cm弱で、
「童子を拝す」とありますので
そのままの受け取れば
 
三歳くらいの子供を拝む
 
となります。
100cmは三歳くらいの平均身長です
 
「子供は神様からの預かり物」という言葉もあります。
 これは、いま、父や母として自分が育てている子供は  
自分の子供として育ててはいるけれども
一時的に、神様から預かって育てさせてもらっている。
やがて神様にお返しするものである、という意味でしょうか。
 
「三尺の童子を拝す」 とは
「子供は神様からの預かり物」と似たような言葉の印象をうけますが
本来、どういう意味なのかっきりしません。
 
 
以下、わたしの解釈です。 

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写真ACより引用

 
 
 
小さい子供も一人の人格を持った人間、として尊重しよう、
ではないでしょうか。
 
2~3歳ころは
ちょうど反抗期・イヤイヤ期にあたり
自己主張が激しくなります。
 
反抗期・イヤイヤ期は
自分と親を分けて考える大切な時期です。
 
この時期に
親が、時分と子供を分けて考えることが出来れば
その後の子育ては随分、楽になるでしょう。
 

 

なにより
小さくても
大人でも
老人でも
 
意思があり「自分」があります。
 
誰かが思い通りにするものではないし
我が子や我が親とはいえ
自分でない他人の人生をどうにかしてはいけないと思うのです。
 
 
子供は親の付属物ではないのだし
年老いて弱っているからといって
「自分」があります。
 
弱い立場にあると
出来ないことは多くても
こうしたい、ああしたい
という意思があります。
 
自分の意思が尊重される、ということは大切な事で
逆に
自分の意思が尊重されないのでは
人生を生きる意味さえわかりません。
 
「三尺の童子を拝す」事のできる人は
それ以外の人の意思も尊重できる人です。
 
しかし、
他人には出来ても
家族であると、なかなか難しいのです。
 
反抗期・イヤイヤ期の我が子の意志を尊重するのは
なかなか難しいことかもしれませんが
 
反抗期・イヤイヤ期の我が子は
すでに自分の人生を歩き出しています。
 
「三尺の童子を拝す」 とは
このように
例え、小さい子供でさえ一人の人格を持った人間。
一人の人間としてリスペクトされるべきである。
 
 
という意味ではないでしょうか。
 
 
皆さんは、どんな意味にとりますか?
 
 
2020年10月18日 、12月2日、加筆修正しました。