こんにちは。696hsへようこそ。
アロマテラピーインストラクター
5人子育て中
放送大学で心理学専攻中
ミナコです。
ナインティナイン、また、岡村隆史さんのファンではありませんが
感じることを書いてみます。
もくじ
岡村隆史、失言騒動。問題の経緯
事の発端は、4月末、ラジオ番組中、岡村隆史さんの失言あり。
失言の内容は、女性軽視と取れる発言。
⇒その後、岡村隆史さん謝罪。
今ココ⇒NHK番組降板、また、吉本興業に対して
所属タレントが女性軽視などの発言をしないように徹底した対策の要望、
の2点について署名活動が起こる
また、Twitterでは「#岡村学べ」として
岡村隆史さんへの否定的意見がハッシュタグつきで溢れている
(一部、否定でない意見もあるようです。)
参考までに、yahooニュースを貼っておきます。
芸能人に求めるものを間違えていない?
昨今、芸能人の発言やモラルについて社会が過剰に反応し
それに大変、気を使う芸能界という様子があります。
政治家の発言、モラルについては
国民の税金から政治家へお給料が出ていたり、
国民による投票で選ばれたりという点で
国民との繋がりがありますが
そもそも、芸能人との繋がりは
自らが求めなければ一般的にはないものです。
(テレビをつけるとか、映画を観るなど。こちらから求めなければ繋がりがありません。)
社会的影響力と考えても
国民的大スターが高視聴率でみられている番組ならですが
今回の失言は、ラジオの深夜放送であり、また、
失礼ですが、岡村隆史さんが国民的大スターとも思えません。
その発言を聞いて、不快だな。と思う人もいれば
岡村さんの発言にニヤリとした人がいるかもしれません。
しかし、多くのリスナーは岡村さんが失言をしたからと言って
直接的に収入が減る訳では無いのだし
不快に思えば聞かない、テレビを見ないことにすれば
そこで、その関係は終わりです。
プライベートに
あいつ、嫌いだわ。と言ったって構わないのです。
また、芸能人の仕事に求めるものですが
シンプルに
お笑いなら、笑わせてくれれば良いし
歌手なら、歌が上手ければ良いし
俳優なら、演技力があったり演技に味があったり
優先順位としては、そこが先じゃないですか?
聖人君子のようなお笑い芸人が出てきても、全く笑えない
聖人君子のような歌手だけれど、歌っても心に響かない歌
聖人君子のような俳優だけれど、全く味がないからテレビを消す
では、面白くありません。
ただ、これば聖人君子のような芸能人が面白くない
芸人の遊び(女、酒など)は、芸の肥やし、という話ではなく
単に、優先順位の話です。
要するに、芸能界ではなくとも
それぞれの仕事にプロフェッショナルであることは
どの世界でも求められるものです。
ただ、うっかり失言をしてしまうことは
多くの世界のプロフェッショナルにもあることです。
有名人、芸能人ばかりに
モラルや綺麗事をもとめすぎるのはどうなんでしょうか。
岡村隆史さんのプロフェッショナルな仕事とは
例えば、
バラエティ番組の趣旨にそって芸人としての仕事をこなしたり
ドラマの趣旨にそった役どころで演じたり
パーソナリティとしてラジオのリスナーが喜ぶような番組を作ることであったり
お笑いのライブでお客さんが喜んだりすることです。
そして、また、一般の人には分かりづらいのかも知れませんが
芸人さん含め芸能人の方は、自身のキャラや芸風というものがあり
今回のことを、わかりやすくお話すれば
ラジオでの発言は、岡村隆史という芸風で発言していて
必ずしも、岡村隆史さんご本人の発言ではない可能性もあります。
(その、岡村隆史キャラが失言してしまった、ということですが。)
芸能人が、こうしたモラルの問題などで時々、
その人格について意見されていることがありますが
その、プロフェッショナルな仕事ひとつひとつについて
プロフェッショナルな仕事ができているかどうかで見ることはできないでしょうか?
オールナイトニッポンでの失言がプロフェッショナルな仕事出ないと感じるのなら
そこを叩くべきで
それ以外な仕事までを否定したり
人格を否定したり、脅迫と取れる発言までするのは、やりすぎです。
誤解のないように書き加えておきます。
先程、書いたことと一見、矛盾するように感じるかもしれませんが
私は、個人的には
岡村さんの失言自体については。擁護するつもりは全くありません。
深夜ラジオと言えども、
繋がりをもとめていなくても
意図せずしてその発言を聞いてしまい
大変、不快に思う方も多くいたかもしれません。
しかし、謝罪してますよね。
子供同士の喧嘩でもそうですが
謝ってるんだから、それで終わり。でいいんじゃないですか?
悪かった、と言って謝っているのですから
それで許しては、どうですか?
やりすぎはイジメやテロリスト思想と一緒
例えば、イジメっ子の背景には
価値観の違い、個人の違いを認めないこと、自身のストレス発散である場合があります。
また、テロリストや宗教観の争いは
自身の思想と他人の思想が違うことが許せないことにあります。
絶対に私や私たちの思想でなければ認めない。
攻撃して排除しよう、という背景です。
シーシェパードなどを想像すれば分かりやすいですが
一見、正しいと思える活動も行き過ぎは 脅威となる場合があります。
今回の、岡村隆史さん叩きの背景に
他人を攻撃することで得られる、自身のストレス発散
自分たちの思想との違いは認めない
などが見え隠れするように感じます。
人は間違えながら成長していく
人は相手に変わるように言われても変わりません。
どんなに叱っても責めても変わることはありません。
誰がどんなに誰かを変えよう操作しようとしても
他人を帰ることはできません。
でも、ただひとつ、変わる方法があります。
それは、自分が変わりたい、と思う時です。
自分を変えることができるのは自分だけです。
また、人間な間違えるものです。
間違えたり失敗したりしたときに
変わりたい。
と思える時は変われます。
今回のことならば、どんなに周りが
#岡村学べ
とtweetで批判をすることや
無理に番組を降板させたりすることで反省を促すことで
岡村さんが変わるのではなく
本人の「変わりたい、」という、意志ひとつで
彼は変わることができるということです。